ヴァインベルグ邸の広い廊下をスザクとジノは歩いていた。外は夜も更けて真っ暗だというのに、そんなことを感じさせないこの廊下の照明、高い天井に飾られた見事なシャンデリアは煌々と道筋を照らしている。サロンは今頃ダンスでも踊っている頃だろう。
スザクは先程の“事件”の当事者としてヴァインベルグ当主に謝罪を申し出たが、ジノに似て、否、ジノが彼に似たのだろう。紳士的な色気を感じさせる当主は、「いい余興でしたよ」とにこやかに言った。要するにお咎めはないということだ。けれどそれは、決してスザクに免じたわけではないということを、スザク自身よくわかっていた。彼はスザクだから、ラウンズだからと免じたわけではない。“皇帝陛下の目”だから免じたのだ。あとは、“ログリエ侯爵の関係者だから”というのも含まれるだろう。
後ろから見ていたジノが声を掛けなければ、水面下の冷戦はきっと今も続いていたことだろう。気にするな、とジノは言うが、当事者であるからには気にするなという方が難しい。不満そうな顔をしていたのだろうか、ジノは少し苦笑を浮かべていた。
そして、スザクという存在は良い意味など殆どなく、悪い意味でサロンの雰囲気をぶち壊す。アーニャに交代を頼み、ヒルデガード・ログリエ侯爵に呼ばれていたこともあり、スザクはサロンを後にした。そこに付いてきたのが、ジノだ。
「君は駄目だろう。ヴァインベルグ家の一員なんだし、家業は全うしなよ」
「十分やってやったさ。兄上達以上にな。それに、スザクだってテラスの場所なんてわからないだろう?初めてここに来たんだし」
う、と痛いところを突かれて、スザクは押し黙る。アーニャも追い討ちをかけるように、「同意する。ジノも連れて行った方がいい」と携帯電話のディスプレイに集中しながら宣告した。的を得ているので、言い返すにも言い返せない。
「迷惑だろう?」
「スザクが?」
「馬鹿言え。君が、だ」
「だからそんなことないって」
なら後ろで恨めしそうにこちらを見ている老若男女の淑女の皆々様を振り返り見ても言えるのか、とスザクは溜息をついたが、あえて言葉にはしない。強情なジノに言ったところで効果などないのだ。それに、ジノとしてもここを出たいのかもしれない。遠くから見ていた時は気付かなかったが、普段は見えない疲れが少し顔に出ている。これ以上噂を立てられるのは御免したいが、彼とて理由は必要だ、とスザクは自分を納得させた。
「じゃあ、アーニャ、頼むね」
「わかった。行ってらっしゃい」
そして今に至る、というわけだ。
面倒臭くない、と言えば、嘘になる。スザクとジノは現在進行形で“ヒルデガード・ログリエが待っていると思われるテラス”はどこか、と頭を捻っていた。
テラスといっても、ここ、ヴァインベルグ邸の屋敷は前述した通り、広大だ。とりあえず広大なのだ。人生の殆どをここで過ごしたことがあるジノだって入ったことがない部屋も多い。こんな見事な屋敷に、テラスと呼ばれるものは十を超すというし、一つ一つ当たって見るにも、時間的余裕も、ましてやだだっ広い敷地内を端から端まで歩くなんて非効率極まりない。体力自慢である二人も、流石に今回ばかりは項垂れた。
「噂には聞いていたが、いいや、噂通りの豪傑なお方だな。でもまさか、とは思っていたけど、スザクが当主ご本人と知り合いとはな」
「え、君は知ってたんじゃないのか?」
だから夜会に誘ったんだと思っていた、とスザクはジノの意外な言葉に目を丸くした。
「いや、まさか、と思ってたんだ。だってお前あの時、ヒルダ・ログリエって言ったろう?ミス・ヒルデガードの愛称はヒルダ。九割は本人じゃないかと思ってたけどさ」
「ああ…そうだね」
「四年前、ログリエ侯はそう名乗ってたのか?」
「うん。だからあの人の出自も、なんとなくしか…殆ど勘だったよ。気紛れな人だし、何よりお世話になっている身だったから詮索することなんて出来なかった」
「昔も真面目だったんだな…お前」
でもせめて相手の身元くらいは確認しとけよ、とジノは苦笑した。そんな余裕はなかったんだ、とスザクは反論しそうになったが、止めた。そんなものはただの言い訳で、ただあの頃の自分は自分のことで精一杯で現実から目を放そうと必死だったに過ぎない。
今思えば、愚かしいと思う。現実から逃げたところで、得られるものなど何もなかった。
(それすら気付かずに繰り返して、今、僕はここにいる)
全ての結果だ。八年前抜いた刃の矛先はそこに向いているのだ。嘗て自分に生きるか死ぬかの選択肢を掲示してきた、荘厳な雰囲気を纏う老人を思い出して身震いする。
「寒いのか?スザク」
目敏く気付いたのか、ジノはスザクの顔を覗き込んだ。
「いいや、大丈夫だ。それよりあの人を探さないと…」
「ゲットーは嫌いじゃない」
決して裕福なようなものではない、租界付近のゲットーの集合団地の屋上で、彼女は夜空をバックにそう言った。
「特別好きってわけじゃないけどね。こうやってなんの障害もなく景色を見渡すことは、租界じゃ出来ないでしょ」
ハッとして、スザクは顔を上げた。
「ジノ」
「おお?」
「ここのテラスで、一番見晴らしがいいところはないか?そうだな…出来るだけ遠くが見えるところだ」
「ああ、麓の街が見えるところなら二箇所あるな。夜になると夜景が綺麗に見えるところだ。それにこの二つはそんなに離れてない」
「じゃあ、そこに案内してくれ」
淡々と話を進めるスザクに、ジノはおいおい、と肩を竦ませた。
「目星でもついたのか?」
そう尋ねると、スザクははっきりと頷いた。顔を覗き込んでいたジノは、その時浮かべた彼の表情に息を呑んだ。
「あの人は、そういう所が好きなんだよ」
(なんて顔するんだ、お前)
懐かしむような、慈愛に満ちた、少し泣きそうな微笑を浮かべたスザクに、ジノはかける言葉が見つからなかった。ジノは最初、彼は余り表情を変化させない人間なのだと思っていた。付き合っていくうちに、段々と表情の変わる様を見れるようになったから、勝手に打ち解けたのだと思っていた。
しかし、それはただの身勝手な勘違いなのだと、今気付かされた。
「ジノ?」
スザクは首を小さく傾げた。先程の表情はもう消えている。ジノが知っているいつもの彼だ。ジノは少しそれが残念だと思った。
「ああ、わかった案内する」
いつものようにジノも笑顔を浮かべながら、また廊下を歩き出す。
遠いな、というジノの呟きは、後ろを歩くスザクには聞こえなかった。
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17話要素急遽混ぜてみた。
あと一、二話くらいで終わると思う。
最初に序盤の方書いてて手違いで消えたときは本当に泣きそうでしたが、うん。約束破ってごめんなさい!
スザクは先程の“事件”の当事者としてヴァインベルグ当主に謝罪を申し出たが、ジノに似て、否、ジノが彼に似たのだろう。紳士的な色気を感じさせる当主は、「いい余興でしたよ」とにこやかに言った。要するにお咎めはないということだ。けれどそれは、決してスザクに免じたわけではないということを、スザク自身よくわかっていた。彼はスザクだから、ラウンズだからと免じたわけではない。“皇帝陛下の目”だから免じたのだ。あとは、“ログリエ侯爵の関係者だから”というのも含まれるだろう。
後ろから見ていたジノが声を掛けなければ、水面下の冷戦はきっと今も続いていたことだろう。気にするな、とジノは言うが、当事者であるからには気にするなという方が難しい。不満そうな顔をしていたのだろうか、ジノは少し苦笑を浮かべていた。
そして、スザクという存在は良い意味など殆どなく、悪い意味でサロンの雰囲気をぶち壊す。アーニャに交代を頼み、ヒルデガード・ログリエ侯爵に呼ばれていたこともあり、スザクはサロンを後にした。そこに付いてきたのが、ジノだ。
「君は駄目だろう。ヴァインベルグ家の一員なんだし、家業は全うしなよ」
「十分やってやったさ。兄上達以上にな。それに、スザクだってテラスの場所なんてわからないだろう?初めてここに来たんだし」
う、と痛いところを突かれて、スザクは押し黙る。アーニャも追い討ちをかけるように、「同意する。ジノも連れて行った方がいい」と携帯電話のディスプレイに集中しながら宣告した。的を得ているので、言い返すにも言い返せない。
「迷惑だろう?」
「スザクが?」
「馬鹿言え。君が、だ」
「だからそんなことないって」
なら後ろで恨めしそうにこちらを見ている老若男女の淑女の皆々様を振り返り見ても言えるのか、とスザクは溜息をついたが、あえて言葉にはしない。強情なジノに言ったところで効果などないのだ。それに、ジノとしてもここを出たいのかもしれない。遠くから見ていた時は気付かなかったが、普段は見えない疲れが少し顔に出ている。これ以上噂を立てられるのは御免したいが、彼とて理由は必要だ、とスザクは自分を納得させた。
「じゃあ、アーニャ、頼むね」
「わかった。行ってらっしゃい」
そして今に至る、というわけだ。
面倒臭くない、と言えば、嘘になる。スザクとジノは現在進行形で“ヒルデガード・ログリエが待っていると思われるテラス”はどこか、と頭を捻っていた。
テラスといっても、ここ、ヴァインベルグ邸の屋敷は前述した通り、広大だ。とりあえず広大なのだ。人生の殆どをここで過ごしたことがあるジノだって入ったことがない部屋も多い。こんな見事な屋敷に、テラスと呼ばれるものは十を超すというし、一つ一つ当たって見るにも、時間的余裕も、ましてやだだっ広い敷地内を端から端まで歩くなんて非効率極まりない。体力自慢である二人も、流石に今回ばかりは項垂れた。
「噂には聞いていたが、いいや、噂通りの豪傑なお方だな。でもまさか、とは思っていたけど、スザクが当主ご本人と知り合いとはな」
「え、君は知ってたんじゃないのか?」
だから夜会に誘ったんだと思っていた、とスザクはジノの意外な言葉に目を丸くした。
「いや、まさか、と思ってたんだ。だってお前あの時、ヒルダ・ログリエって言ったろう?ミス・ヒルデガードの愛称はヒルダ。九割は本人じゃないかと思ってたけどさ」
「ああ…そうだね」
「四年前、ログリエ侯はそう名乗ってたのか?」
「うん。だからあの人の出自も、なんとなくしか…殆ど勘だったよ。気紛れな人だし、何よりお世話になっている身だったから詮索することなんて出来なかった」
「昔も真面目だったんだな…お前」
でもせめて相手の身元くらいは確認しとけよ、とジノは苦笑した。そんな余裕はなかったんだ、とスザクは反論しそうになったが、止めた。そんなものはただの言い訳で、ただあの頃の自分は自分のことで精一杯で現実から目を放そうと必死だったに過ぎない。
今思えば、愚かしいと思う。現実から逃げたところで、得られるものなど何もなかった。
(それすら気付かずに繰り返して、今、僕はここにいる)
全ての結果だ。八年前抜いた刃の矛先はそこに向いているのだ。嘗て自分に生きるか死ぬかの選択肢を掲示してきた、荘厳な雰囲気を纏う老人を思い出して身震いする。
「寒いのか?スザク」
目敏く気付いたのか、ジノはスザクの顔を覗き込んだ。
「いいや、大丈夫だ。それよりあの人を探さないと…」
「ゲットーは嫌いじゃない」
決して裕福なようなものではない、租界付近のゲットーの集合団地の屋上で、彼女は夜空をバックにそう言った。
「特別好きってわけじゃないけどね。こうやってなんの障害もなく景色を見渡すことは、租界じゃ出来ないでしょ」
ハッとして、スザクは顔を上げた。
「ジノ」
「おお?」
「ここのテラスで、一番見晴らしがいいところはないか?そうだな…出来るだけ遠くが見えるところだ」
「ああ、麓の街が見えるところなら二箇所あるな。夜になると夜景が綺麗に見えるところだ。それにこの二つはそんなに離れてない」
「じゃあ、そこに案内してくれ」
淡々と話を進めるスザクに、ジノはおいおい、と肩を竦ませた。
「目星でもついたのか?」
そう尋ねると、スザクははっきりと頷いた。顔を覗き込んでいたジノは、その時浮かべた彼の表情に息を呑んだ。
「あの人は、そういう所が好きなんだよ」
(なんて顔するんだ、お前)
懐かしむような、慈愛に満ちた、少し泣きそうな微笑を浮かべたスザクに、ジノはかける言葉が見つからなかった。ジノは最初、彼は余り表情を変化させない人間なのだと思っていた。付き合っていくうちに、段々と表情の変わる様を見れるようになったから、勝手に打ち解けたのだと思っていた。
しかし、それはただの身勝手な勘違いなのだと、今気付かされた。
「ジノ?」
スザクは首を小さく傾げた。先程の表情はもう消えている。ジノが知っているいつもの彼だ。ジノは少しそれが残念だと思った。
「ああ、わかった案内する」
いつものようにジノも笑顔を浮かべながら、また廊下を歩き出す。
遠いな、というジノの呟きは、後ろを歩くスザクには聞こえなかった。
-----------------------------------------
17話要素急遽混ぜてみた。
あと一、二話くらいで終わると思う。
最初に序盤の方書いてて手違いで消えたときは本当に泣きそうでしたが、うん。約束破ってごめんなさい!
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