行くところがなかったのは、事実だ。司令部に行けと言われて行ってみたものの、何やら難しいことを言われて、事情聴取が終わったらゴミのようにゲットーに置き去りにされた。取引材料にも、人質にもする価値がないと、態度で示された。なぜかあの時永らえてしまった命だが、このまま朽ちていくのもいいと思った。何日か飲まず食わずで、もう生きる意思すら沸かなかった。けれどそんな時、目の前で二本の足が立ち止まった。
顔を見ようとする気力もなくて、ただ地面を感慨なく見つめていると、頭上ではぁ、と大きな溜息をつくのが聞こえた。その人は落ち着いた声で「あんた、イレブンでしょう」と断定した。ブリタニア語だったから、すぐにその人がブリタニア人だとわかって、恐ろしさで身体を強張らせ、もう上を見上げることは叶わなかった。
反射的に、ぶたれる、と思った。司令部で抵抗した時、身体が悲鳴を上げて動けないくらい殴られたのは、今でも記憶に新しい。けれどそれは、つい最近まで自分が他人にしていたことと変わりなかったことに気付かされた。その結果が、アレだった。
(とうさん…)
祈ったところで父は助けにこない。父はもういない。生きていない。自分が殺した。
それでも恐怖心は抑えられなくて、固く目を瞑っていると、両頬を冷たい両手で包まれた。
存外優しいそれに、少年、枢木スザクはゆっくりと視界を開いた。
スザクよりも澄んだ緑色の瞳。エメラルドに近いそれと、少し目にかかる分けられた金色の前髪。綺麗、というには強靭そうな顔つきの女性は、にっこりと笑った。
「私があんたを引き取ったげる。その代わり、あんたは家の炊事洗濯掃除全部するのよ。オーケイわかった?あ、そういえばあんた名前なんていうの?」
スザクはきょとんとした。はい、ともいいえ、とも答えないまま、女性はスザクの手を引いて、恐らく彼女が乗ってきたであろうバイクのサイドカーに乗せた。突然のことで何が何だかわからない、と泣きそうな顔をしていると、それを吹き飛ばすかのように、太陽のように女性は笑った。
「私はヒルダ・ログリエっての。よろしくね」
今まで出会った大人の中で、彼女だけは輝いて見えた。
「久しぶりね、スザク」
そう言って頬を抓る彼女、ヒルデガードはとても楽しそうに笑った。髪の毛や服についてしまったワインが気にならないのだろうか。唐突すぎてリアクションがなあなあなスザクが不満なのか、ヒルデガードは先程の言葉責めの際にさえ見せなかった不機嫌な顔をする。
「久々に会えたのに何かないの?相変わらずドン臭いのねあんた」
ああこの罵倒も久々だ、と思わず懐かしみそうになったが、今はそんな状況ではない。スザクは急いでハンカチーフを取り出し、ヒルデガードに押し付けた。
「これで拭いて!」
「あ。ありがと」
「一体どうして前に出てきたりしたんだ!」
「あんたがドン臭いから」
ドン臭いドン臭い、と連発するヒルデガードに、スザクは顔を真っ赤にしつつも彼女の手からハンカチーフを奪い取り、髪についたワインを拭き取っていく。周りがざわざわと騒がしいが今は気にしている暇はない。あとでどんな噂がどう流れようともどうでもよかった。ただ、目の前で彼女が自分を庇ったことが問題なのだ。
この時点で、最初に「会わないでいるべきだ」と考えていた自分が既にいなくなっていることに、スザクは気付いていない。
「怪我は?」
グラスは床で砕け散っているが、スザクは当時の状況をリアルタイムで見ていない。声が震えているのが情けないが、ワインの色が赤色のために分かりづらいのだ。
ヒルデガードは首を横に振り、グラスは右手で叩き落したのだと言う。右手の手袋にワインが付着していたのは、頭を庇ったからではないらしい。とりあえず外傷はないようなので、スザクは安堵の息をついた。
「ログリエ侯」
ギャラリーの中を割って駆けつけたのだろう、少し焦った様子のジノが二人に駆け寄った。その時、やっとスザクは自分が勤務中であることと、この場で相応しい態度がとれていなかったことに気付いた。対してヒルデガードは気にした様子もなく、ジノに振り返り気丈に笑みを浮かべた。上品、というよりは男らしい、ワインに汚れたドレスなど気にさせない、そんな笑みだ。
「ああ、ヴァインベルグ殿の…ジノ、だったかしら」
「まさかお見知りおき頂いていたとは、光栄の至りで御座います。この度は我が一族主催の夜会でありながら監督不届きであったことをお詫びします。今すぐに代えの服をご用意致しますので」
「大丈夫、もう一着あるから。シャワーを貸してくださる?」
「畏まりました」
既にメイドを呼びつけていたのだろう、ジノは傍らに置いていた、見るからにベテランそうな女性に事の旨を伝え、ヒルデガードはにこやかに受け応えしながらメイドの案内に頷いた。先導されるままサロンを出て行くところで、彼女はスザクを振り返った。彼女と彼女の近くにいた人間くらいしか聞き取れないくらいの声量で。
「ここのテラスで待ってなさい」
母親のような物言いと共に、メイドに先導されながらヒルデガードはサロンを後にした。
待っていろ、と言った割には、具体的な時間は教えられていない。相変わらずだ、と溜息をつきつつ、スザクはジノの肩越しに騒然とするギャラリーを見渡した。最初よりも強い好奇の視線が向けられている。正直、気分がいいものではない。一瞬紛れていた胃の辺りのムカムカがぶり返した気がした。
「……なにごと?」
背後で声がして、驚いて振り向く。視線の延長上に犯人はいない。しかし少し下にずらせば、桜色の髪の少女が怪訝そうにジノとスザクを見上げていた。ナイトオブシックス、アーニャ・アールストレイムだ。
「アーニャ。戻ってきたのか」
「サロンの方が騒がしかったから戻ってくる途中、二人の貴族とすれ違った。あれはなに?」
エドワーズ父子のことだ。きっと事情の知らないアーニャにとって、余程彼らが奇妙に見えたに違いない。想像してしまったのか、ジノは噴き出しそうになりながらも、肩を震わせながらアーニャの頭に手を置いた。
随分滑稽な喜劇と、感動も何もない衝撃的な再会があったんだよ、とジノが言うと、ますますアーニャは首を傾げて、
「意味不明」
と呟いた。
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予想以上に地味に続いている。きっと需要は私しかないのにな!
顔を見ようとする気力もなくて、ただ地面を感慨なく見つめていると、頭上ではぁ、と大きな溜息をつくのが聞こえた。その人は落ち着いた声で「あんた、イレブンでしょう」と断定した。ブリタニア語だったから、すぐにその人がブリタニア人だとわかって、恐ろしさで身体を強張らせ、もう上を見上げることは叶わなかった。
反射的に、ぶたれる、と思った。司令部で抵抗した時、身体が悲鳴を上げて動けないくらい殴られたのは、今でも記憶に新しい。けれどそれは、つい最近まで自分が他人にしていたことと変わりなかったことに気付かされた。その結果が、アレだった。
(とうさん…)
祈ったところで父は助けにこない。父はもういない。生きていない。自分が殺した。
それでも恐怖心は抑えられなくて、固く目を瞑っていると、両頬を冷たい両手で包まれた。
存外優しいそれに、少年、枢木スザクはゆっくりと視界を開いた。
スザクよりも澄んだ緑色の瞳。エメラルドに近いそれと、少し目にかかる分けられた金色の前髪。綺麗、というには強靭そうな顔つきの女性は、にっこりと笑った。
「私があんたを引き取ったげる。その代わり、あんたは家の炊事洗濯掃除全部するのよ。オーケイわかった?あ、そういえばあんた名前なんていうの?」
スザクはきょとんとした。はい、ともいいえ、とも答えないまま、女性はスザクの手を引いて、恐らく彼女が乗ってきたであろうバイクのサイドカーに乗せた。突然のことで何が何だかわからない、と泣きそうな顔をしていると、それを吹き飛ばすかのように、太陽のように女性は笑った。
「私はヒルダ・ログリエっての。よろしくね」
今まで出会った大人の中で、彼女だけは輝いて見えた。
「久しぶりね、スザク」
そう言って頬を抓る彼女、ヒルデガードはとても楽しそうに笑った。髪の毛や服についてしまったワインが気にならないのだろうか。唐突すぎてリアクションがなあなあなスザクが不満なのか、ヒルデガードは先程の言葉責めの際にさえ見せなかった不機嫌な顔をする。
「久々に会えたのに何かないの?相変わらずドン臭いのねあんた」
ああこの罵倒も久々だ、と思わず懐かしみそうになったが、今はそんな状況ではない。スザクは急いでハンカチーフを取り出し、ヒルデガードに押し付けた。
「これで拭いて!」
「あ。ありがと」
「一体どうして前に出てきたりしたんだ!」
「あんたがドン臭いから」
ドン臭いドン臭い、と連発するヒルデガードに、スザクは顔を真っ赤にしつつも彼女の手からハンカチーフを奪い取り、髪についたワインを拭き取っていく。周りがざわざわと騒がしいが今は気にしている暇はない。あとでどんな噂がどう流れようともどうでもよかった。ただ、目の前で彼女が自分を庇ったことが問題なのだ。
この時点で、最初に「会わないでいるべきだ」と考えていた自分が既にいなくなっていることに、スザクは気付いていない。
「怪我は?」
グラスは床で砕け散っているが、スザクは当時の状況をリアルタイムで見ていない。声が震えているのが情けないが、ワインの色が赤色のために分かりづらいのだ。
ヒルデガードは首を横に振り、グラスは右手で叩き落したのだと言う。右手の手袋にワインが付着していたのは、頭を庇ったからではないらしい。とりあえず外傷はないようなので、スザクは安堵の息をついた。
「ログリエ侯」
ギャラリーの中を割って駆けつけたのだろう、少し焦った様子のジノが二人に駆け寄った。その時、やっとスザクは自分が勤務中であることと、この場で相応しい態度がとれていなかったことに気付いた。対してヒルデガードは気にした様子もなく、ジノに振り返り気丈に笑みを浮かべた。上品、というよりは男らしい、ワインに汚れたドレスなど気にさせない、そんな笑みだ。
「ああ、ヴァインベルグ殿の…ジノ、だったかしら」
「まさかお見知りおき頂いていたとは、光栄の至りで御座います。この度は我が一族主催の夜会でありながら監督不届きであったことをお詫びします。今すぐに代えの服をご用意致しますので」
「大丈夫、もう一着あるから。シャワーを貸してくださる?」
「畏まりました」
既にメイドを呼びつけていたのだろう、ジノは傍らに置いていた、見るからにベテランそうな女性に事の旨を伝え、ヒルデガードはにこやかに受け応えしながらメイドの案内に頷いた。先導されるままサロンを出て行くところで、彼女はスザクを振り返った。彼女と彼女の近くにいた人間くらいしか聞き取れないくらいの声量で。
「ここのテラスで待ってなさい」
母親のような物言いと共に、メイドに先導されながらヒルデガードはサロンを後にした。
待っていろ、と言った割には、具体的な時間は教えられていない。相変わらずだ、と溜息をつきつつ、スザクはジノの肩越しに騒然とするギャラリーを見渡した。最初よりも強い好奇の視線が向けられている。正直、気分がいいものではない。一瞬紛れていた胃の辺りのムカムカがぶり返した気がした。
「……なにごと?」
背後で声がして、驚いて振り向く。視線の延長上に犯人はいない。しかし少し下にずらせば、桜色の髪の少女が怪訝そうにジノとスザクを見上げていた。ナイトオブシックス、アーニャ・アールストレイムだ。
「アーニャ。戻ってきたのか」
「サロンの方が騒がしかったから戻ってくる途中、二人の貴族とすれ違った。あれはなに?」
エドワーズ父子のことだ。きっと事情の知らないアーニャにとって、余程彼らが奇妙に見えたに違いない。想像してしまったのか、ジノは噴き出しそうになりながらも、肩を震わせながらアーニャの頭に手を置いた。
随分滑稽な喜劇と、感動も何もない衝撃的な再会があったんだよ、とジノが言うと、ますますアーニャは首を傾げて、
「意味不明」
と呟いた。
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予想以上に地味に続いている。きっと需要は私しかないのにな!
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