「久しぶりやなあ」
儲かってまっか?と挨拶してくるのはもうお決まりだ。方言らしいが、会う度にこれを挨拶代わりにしているというのだから不思議でならない。相手の経済状況を聞いてどうするんだ、とぼやけば「お堅いなあ」と呆れられて少しムカついた。アントーニョ・フェルナンデス・カリエド。スペイン訛りの英語はどこかゆっくりと聞こえる。
「とりあえず、上がれよ」
単身赴任でイタリアに居たアントーニョが久々に長期休暇を取れたと電話で話され、一方的に遊びに行くという約束をされ、現在に至るというわけだが態々貴重な休日をこのマイペースの為に割いてやった自分もつくづく甘いと思う。玄関先で話すのもなんだからと、アーサーはアントーニョを中に上げた。
「アーサー、アーサー」
「あ?」
「あいさつは?」
「………生活に困らない程度には」
あーあかん。お前それはあかん。めっちゃつまらん奴やでお前。全く仕方がないなという風にアントーニョが肩を竦める。イラッとしつつもこいつのペースに巻き込まれた瞬間此方の敗北は決定するのでどうにか持ち応える。ああ、怒鳴らないでいる俺はなんて温厚なのだろう。
「ウゼェ。帰れ」
「すまんすまん、冗談やて。せやからそんな怒らんといてーな。おおそうや、これお土産のパスタ。ゆでるもんやったら焦がさへんと思って」
「別に焦がしてねぇよ!」
「自覚なしは痛々しいで。お前の味覚とあのぼんぼんの味覚はほんま奇跡やわ!」
「さり気にアルフレッドを巻き込んでんじゃねぇ!!」
あと俺たちはまともだ!と叫ぶもアントーニョは何処吹く風だ。言いたいことは山ほどあったがとりあえず土産のパスタは受け取ってキッチンのワゴンに置く。リビングに戻ると勧めるまでもなくアントーニョはソファを陣取っていた。客のくせに厚かましい。これも初めてではないのでもう口を出すことはないが、他人(一応知り合いではあるが)の家でよくもそんなに自然体でいられるものだ。普通は畏まる。だがよく考えてみれば、フランシスの家で言えばアーサーはアントーニョとそう変わらないかもしれない、と思ってみたがやっぱり違う気がする、と思い直した。
「飲み物は?」
「お構いなくー」
「社交辞令はいい。サイダーとダージリン…アッサムは切らしてるな」
「折角アーサーが淹れてくれんねんし、紅茶がええな」
「わかった。適当に待ってろ」
「あ、テレビ点けてええ?」
「御勝手に」
アントーニョがテーブルに置かれたリモコンに手を伸ばすのを尻目に、イギリスは紅茶セットを揃えお湯を沸かし始めた。アナウンサーの声や、歓声、タレントのくだらない話、断片となって耳を通り過ぎていくと、漸く目当ての番組が見つかったのか音声の嵐は止み、まとまったBGMとしてキッチンに届いた。
「なあアーサー」
「なんだよ」
「ぼんぼんは?」
「学校だ」
「元気でやっとる?」
「ああ。最近日本からの留学生の友達が出来たらしいぜ」
「ぼんぼんお前と違って付き合い上手いもんなぁ」
「煩いお前マジで帰れよ馬鹿!!」
「おおこわ」
それっ切り会話は止まり、テレビから出る音声だけになった。興奮して少し頬を赤くしながらもアーサーは注意深くポットを見ている。
段々テレビに飽きてきたアントーニョは、ふとリビングを見渡した。フローリングに敷かれた洒落た絨毯や、庭が見渡せる窓に掛けられた明るい色のカーテン、綺麗に整理整頓された家具や雑誌。その中に場に似つかわしくない風俗物を見つけたのはなかったことにする。
古い物を好む性質のアーサーは結構な数のレコードを持っている。新しいオーディオ機器がたくさん出ている中でも彼は時々レコードを聞くようだ。かと言って新しい物に興味がないわけではなく、意外とロックも聴いたりするらしい。レコードと同じように飾られたCDは彼自身が買ったものや、彼の養子のアルフレッドが買ってきたものもあるようだ。
その棚の上にはいくつかの写真立てや賞が飾られている。かなり前にアントーニョが来た時はその殆どが彼と彼の亡き妻エリザベスの写真だったり、彼らが学生時代に獲った馬術の優勝カップや賞が置かれていたのだが、そこにアントーニョの見覚えのあるものは殆どなかった。少なくとも、アーサーとエリザベスの歴戦の記録はそこにはなかった。唯一残っているのは二人が旅行に行った時の記念写真と、同窓会でフランシスやアントーニョも混ざって撮ったもの。あとはアルフレッドの賞状やカップが占められていた。しかしアルフレッドの写真は一枚も置かれていない。
「ほら、紅茶淹れたぞ」
「おおきに。なあ、あれ…」
「ああ。あいつ、化学の検定試験で最優秀賞修めたんだ。他にも数学とか、理系分野は総舐めしてたな。全く優秀だよ、アルフレッドは」
自分たちがサークル派だったのとは裏返しに、あの子供はどうやら勉強好きのようだ。
「そらすごいな。でも写真は置いてないねや?なんで?」
「あいつが恥ずかしいから置かないで欲しいって言うから、置いてない。写真はあるぞ。アルフレッドの部屋だけど。見るか?」
「ええよええよ、思春期の青少年の部屋は聖地やからな」
「なんだそれ」
「ベッドの下にエロ本あったりとか、あの歳になるとおかんには見られたくないもんばっかり詰まっとるからなあ」
「そんなの普通だろって誰がおかんだゴラァ」
「あ、バレてもた?あいたっ!暴力反対!」
元ヤン紳士の暴力癖はまだ治っていないようだ。しかしじゃれ合う程度のそれに、アントーニョは変わったなと思う。アーサーは変わった。エリザベスと結婚した時もそう思ったが、歳をとったせいか、やけに落ち着いている。家族仲が悪くいつもささくれていたあの頃が嘘のようだ。
「今夜は俺が晩飯ご馳走するわ!態々イギリスの不味い飯食いたないしな!」
「悪かったな不味くて!!っつーかお前今晩泊まるつもりかよ!?」
「えー?あかんの?折角あんさんの貴重な友達が遊びに来たったのにそんな冷たいこと言うん?」
「貴重は余計だ馬鹿!!」
「せめて“アホ”にしてやアーサー」
ほんまお前変わったなぁ、とアントーニョはひとりごちた。
その内変えるかも。
儲かってまっか?と挨拶してくるのはもうお決まりだ。方言らしいが、会う度にこれを挨拶代わりにしているというのだから不思議でならない。相手の経済状況を聞いてどうするんだ、とぼやけば「お堅いなあ」と呆れられて少しムカついた。アントーニョ・フェルナンデス・カリエド。スペイン訛りの英語はどこかゆっくりと聞こえる。
「とりあえず、上がれよ」
単身赴任でイタリアに居たアントーニョが久々に長期休暇を取れたと電話で話され、一方的に遊びに行くという約束をされ、現在に至るというわけだが態々貴重な休日をこのマイペースの為に割いてやった自分もつくづく甘いと思う。玄関先で話すのもなんだからと、アーサーはアントーニョを中に上げた。
「アーサー、アーサー」
「あ?」
「あいさつは?」
「………生活に困らない程度には」
あーあかん。お前それはあかん。めっちゃつまらん奴やでお前。全く仕方がないなという風にアントーニョが肩を竦める。イラッとしつつもこいつのペースに巻き込まれた瞬間此方の敗北は決定するのでどうにか持ち応える。ああ、怒鳴らないでいる俺はなんて温厚なのだろう。
「ウゼェ。帰れ」
「すまんすまん、冗談やて。せやからそんな怒らんといてーな。おおそうや、これお土産のパスタ。ゆでるもんやったら焦がさへんと思って」
「別に焦がしてねぇよ!」
「自覚なしは痛々しいで。お前の味覚とあのぼんぼんの味覚はほんま奇跡やわ!」
「さり気にアルフレッドを巻き込んでんじゃねぇ!!」
あと俺たちはまともだ!と叫ぶもアントーニョは何処吹く風だ。言いたいことは山ほどあったがとりあえず土産のパスタは受け取ってキッチンのワゴンに置く。リビングに戻ると勧めるまでもなくアントーニョはソファを陣取っていた。客のくせに厚かましい。これも初めてではないのでもう口を出すことはないが、他人(一応知り合いではあるが)の家でよくもそんなに自然体でいられるものだ。普通は畏まる。だがよく考えてみれば、フランシスの家で言えばアーサーはアントーニョとそう変わらないかもしれない、と思ってみたがやっぱり違う気がする、と思い直した。
「飲み物は?」
「お構いなくー」
「社交辞令はいい。サイダーとダージリン…アッサムは切らしてるな」
「折角アーサーが淹れてくれんねんし、紅茶がええな」
「わかった。適当に待ってろ」
「あ、テレビ点けてええ?」
「御勝手に」
アントーニョがテーブルに置かれたリモコンに手を伸ばすのを尻目に、イギリスは紅茶セットを揃えお湯を沸かし始めた。アナウンサーの声や、歓声、タレントのくだらない話、断片となって耳を通り過ぎていくと、漸く目当ての番組が見つかったのか音声の嵐は止み、まとまったBGMとしてキッチンに届いた。
「なあアーサー」
「なんだよ」
「ぼんぼんは?」
「学校だ」
「元気でやっとる?」
「ああ。最近日本からの留学生の友達が出来たらしいぜ」
「ぼんぼんお前と違って付き合い上手いもんなぁ」
「煩いお前マジで帰れよ馬鹿!!」
「おおこわ」
それっ切り会話は止まり、テレビから出る音声だけになった。興奮して少し頬を赤くしながらもアーサーは注意深くポットを見ている。
段々テレビに飽きてきたアントーニョは、ふとリビングを見渡した。フローリングに敷かれた洒落た絨毯や、庭が見渡せる窓に掛けられた明るい色のカーテン、綺麗に整理整頓された家具や雑誌。その中に場に似つかわしくない風俗物を見つけたのはなかったことにする。
古い物を好む性質のアーサーは結構な数のレコードを持っている。新しいオーディオ機器がたくさん出ている中でも彼は時々レコードを聞くようだ。かと言って新しい物に興味がないわけではなく、意外とロックも聴いたりするらしい。レコードと同じように飾られたCDは彼自身が買ったものや、彼の養子のアルフレッドが買ってきたものもあるようだ。
その棚の上にはいくつかの写真立てや賞が飾られている。かなり前にアントーニョが来た時はその殆どが彼と彼の亡き妻エリザベスの写真だったり、彼らが学生時代に獲った馬術の優勝カップや賞が置かれていたのだが、そこにアントーニョの見覚えのあるものは殆どなかった。少なくとも、アーサーとエリザベスの歴戦の記録はそこにはなかった。唯一残っているのは二人が旅行に行った時の記念写真と、同窓会でフランシスやアントーニョも混ざって撮ったもの。あとはアルフレッドの賞状やカップが占められていた。しかしアルフレッドの写真は一枚も置かれていない。
「ほら、紅茶淹れたぞ」
「おおきに。なあ、あれ…」
「ああ。あいつ、化学の検定試験で最優秀賞修めたんだ。他にも数学とか、理系分野は総舐めしてたな。全く優秀だよ、アルフレッドは」
自分たちがサークル派だったのとは裏返しに、あの子供はどうやら勉強好きのようだ。
「そらすごいな。でも写真は置いてないねや?なんで?」
「あいつが恥ずかしいから置かないで欲しいって言うから、置いてない。写真はあるぞ。アルフレッドの部屋だけど。見るか?」
「ええよええよ、思春期の青少年の部屋は聖地やからな」
「なんだそれ」
「ベッドの下にエロ本あったりとか、あの歳になるとおかんには見られたくないもんばっかり詰まっとるからなあ」
「そんなの普通だろって誰がおかんだゴラァ」
「あ、バレてもた?あいたっ!暴力反対!」
元ヤン紳士の暴力癖はまだ治っていないようだ。しかしじゃれ合う程度のそれに、アントーニョは変わったなと思う。アーサーは変わった。エリザベスと結婚した時もそう思ったが、歳をとったせいか、やけに落ち着いている。家族仲が悪くいつもささくれていたあの頃が嘘のようだ。
「今夜は俺が晩飯ご馳走するわ!態々イギリスの不味い飯食いたないしな!」
「悪かったな不味くて!!っつーかお前今晩泊まるつもりかよ!?」
「えー?あかんの?折角あんさんの貴重な友達が遊びに来たったのにそんな冷たいこと言うん?」
「貴重は余計だ馬鹿!!」
「せめて“アホ”にしてやアーサー」
ほんまお前変わったなぁ、とアントーニョはひとりごちた。
その内変えるかも。
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