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人生自分満足可其充分
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此方はSS倉庫です。
ジャンルは雑多ですが、主にコードギアス、00、APHの駄文が中心。
長編まがいもありますが完結しておりません!ご注意ください。
今後更新の目途が立たないものではありますが、此方に放置しておきます。

                                        ido  末弥
 

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 真っ青と真っ白と新緑のコントラスト。イギリスにある小高い丘の上、広めの土地に敷き詰められた白い石の彫刻がどれだけあるかなんて不毛なことはしない。
 イングランドのとある田舎町、そこはアーサーとエリザベスの故郷だった。家が隣同士で、家族ぐるみでよく付き合い、お互い兄妹のように育った場所。田舎といってもそれなりに大きな街はすぐそこで、この丘からいつも見渡せた。ふもとには二人が通った大学もある。

 ここへ来る途中、普段まったく思い出すことがなかったはずなのに、脳裏にたくさんの思い出が浮かび上がった。
 嫌な記憶も残る土地でアーサーの心の内をいつも黒く染め上げていたのに、結局彼女に辿り着いて一瞬にして景色は変わるのだ。ドロドロして淀んだヘドロのようなものから、この澄み渡った空のように。
 今にも後ろからこの道を駆け下りてくる小さな彼女が見えそうな気がした。
 だが彼女はもう地中で眠っていて、まさか、そんなことがあるわけないのだけれど。

 「神の御加護あらんことを、そしてどうか、平穏な眠りに。アーメン」
 簡易的な田舎教会の牧師の祈りの声とともに一同が胸元に飾られた銀の十字架を握る。
 彼女の職場の知り合いや大学の同級、その多趣味が故に友人も多く、逆に親戚は少ない。
 アーサーの友人や同級も、彼女ほどではないにしろ黒服の中に参列していた。
 冷たい乾いた風が吹く。彼女の友人だろうか、一人がウッと泣きだすと周りもつられたようにハンカチを手にとり目元に当てた。
 アーサーは静かに真新しい石の彫刻を見下ろした。エリザベスと刻まれた、その石を。


 「アーサー、そろそろ」

 あれから何十分、いや何時間経ったのだろう。
 ぽつぽつと周りの参列者達が引き返して行く中、アーサーだけは一歩も動かずに石碑の前に立っていた。
 彼女の友人や牧師は既に後にしている。佇むアーサーに声を掛けるのは憚られたのだろうが、何人かは簡易に挨拶を済ましそこを後にした。「気をたしかにね」。そんな今更、と後ろで聞いていたフランシスは心の内で肩を竦めた。
 アーサーはこの時よりずっと前から腹をくくっていた。活発な性格で忘れられがちだが、エリザベスが本来身体が弱い側の人間なのだということを彼はよく知っていた。だから彼女に不治の病が見つかったとき戸惑いはしたものの、すぐに冷静になり、エリザベスの支えになるよう努力してきた。その頃から既に、彼の中でカウントダウンは始まっていたというのに。
 ここに来る途中、いっそ泣いてくれたらいくらでも慰めたんのになぁ、とアントーニョは参列の靴音に隠すように呟いた。
 まったくもって同感だ。少しでも弱音を吐けばいいのに、この強がりはエリザベスの病の発覚から今の今まで一度も弱音など吐かなかった。ただいつも通りに悪態をつき、彼女を目に入れた瞬間には本当に幸せそうに笑うのだ。笑って「ベス、こっち来いよ」と手招きして彼女を抱きよせる。彼女は幸せそうに腕の中から彼を見上げて、ほほ笑む。ああお熱いことで、と冷やかすと、アーサーはさも当然と言わんばかりに「当たり前だろクソ髭目腐ってんのか」と二言以上多い暴言を吐き捨て、エリザベスは声を出して笑う。酷い、と俺はふざけてハンカチを噛む真似をすると、最後にはその場にいた全員が笑う。

 ああどうしよう、お兄さんちょっと泣きそうだ。今まで全然泣く気なんて起きなかったのに、君の主人を差し置いて俺が泣いてどうするよ。笑っちゃうだろ、なぁ?
 もう一度声をかけようとしたのに、このままじゃ鼻声しか出ないじゃないか。

 「アーサー、そろそろ帰ろ。冷えてまうで」
 アントーニョが俺とアーサーの背中の間に立った。お前、今日やたら空気読むよね。
 その隙になんとか平静を保ち、上を向いて空を仰ぐ。ああ、俺の出ちゃった涙たちよ、今だけは涙腺に戻ってくれ。
 ぴく、と反応を見せても動かない背中に、アントーニョはもう一度声をかけた。
 「…アーサー。また来ればええやろ?これ以上は身体に悪いで」
 「…わかってる。悪かった、付き合わせて。フランシスも」
 漸く振り返ったアーサーの顔は、これまで見たことがないくらい、疲れ果て、乾いていた。
 ああ、俺達は泣いてる場合じゃないんだ。こいつを引き止めなきゃいけない、多分エリザベスが俺達に残した重要な役割があるんだ。何十年振りにこの丸い頭に触れる。
 「行くか。今日は特別にお兄さんがあったかいスープ作ってあげるよ」
 「ん」
 「俺のトマト使ったってやー」
 「んじゃミネストローネかね。いいだろ?坊ちゃん」
 「…おう」
 目を細めるそれは、まだ取り繕ったものなのだろう。
 アントーニョは土産のトマトを出しに行くと言って行きかけ、フランシスもまたゆっくりと歩き出す。
 続いて進みかけた足をぴたりと止めて、アーサーは振り返った。
 「…また来るよ、ベス」

 そしてまた、アーサーは歩き出した。
 

 あなたには選択肢があります。
 あなた方は本来、意思を持ち、持たぬもの。過去、あなた方はしっかりと形を保てる血が流れていた。国民という血が。
 しかし今となっては、それを維持するのも難しい。維持できなくなれば、あなたは滅びる。死ぬのです。
 人のように本来寿命のないあなた方の命は土地に繋がれたものではなく人に繋がれていた。国という概念があればこその存在でした。
 本来あなた方は意思などなかった。感情もない。真っ白な存在で、色がついたように見えるのはただの錯覚。
 だから、苦しむことなど何もない。元の状態に戻るだけで、何も変わらない。

 「さあ、どうします?」
 「…それはおとぎ話か、本田」
 「いいえ、本当です。私はかつて、これを選びました。そう遠くない昔の話です」
 本田は小さく笑った。嘘をついているのか、そうでないのかはよくわからない。
 俺が怪訝にしていると、本田は両手を差し出した。
 「本田?」
 「私は真っ白になったのは、私の基盤となる全てです。記憶はそのまま受け継ぎました。力は全て失いましたが、すぐに取り戻せました。その代わり手に入れたのは、自由でした」
 「自由…?」
 「あなたは既に持っていたと思いますよ。でも私にはそれがなかったんです。だから、手に入れました」
 「それは、今もか?」
 「さあ…でも、昔ほど不自由ではないかもしれませんね。でも、この世界は息がしづらい。それはどこでもそうでしょう?」
 自殺とか、もうそう驚くことじゃないですしね。さらっと本田は恐ろしいことを口にした。
 何が自由で何が不自由なのか。これまで俺は俺自身を不自由だと思ったことはほとんどない。
 「…悪いが本田、抽象的すぎてわからない」
 「簡単に言いますと、今の私は昔の私とは別人なんですよ」
 「…ますます意味がわからない。お前はお前だろう」
 「あなたと同盟を調印したのは『私』ではない、と言ったらわかりますか?」
 「本田…?」
 「記憶はあるんです。あのときあなたが淹れてくれた紅茶、美味しかったんでしょうね。パノラマのようによみがえるんです。普通、人間は懐古するものでしょう?私たちも例外じゃない。でも、私にとってはただの映像でしかないんです。多少感情移入できたところで、私は部外者なんです」
 「待ってくれ。本当に何を言っているのか、わからないんだ」
 「…あなたが選べばわかるようになりますよ。あなたはどちらを選びますか?」
 「どちらって…」
 「“国”として生き続けるか、“国人”として生き続けるか。
 私は、“国”を選んだ。人としての私は、邪魔だったんです。でないと…」

 (あの時の憎悪を消化することなどできなかった)
 

 ――ごめんねセーちゃん。育児放棄する俺を許して!

 高そうな羊皮紙に書かれた端整な字面は見覚えがあったけれど、私は思わず首を傾げた。
 きっとこれはフランスさんが書いたものだ。でも育児放棄とは一体なんのことなのやら。さっぱりわからない。
 私はフランスさんの保護下(事実上植民地だ)にいる。育児放棄、フランスさんは私をなんだと思っていたのだろう。いや、あの人に比べたら私なんか全然ひよっこなのはわかってますけど。
 そうか、放棄するのか。放棄ってなんだろう。フランスさん、まだ私フランス語の勉強の途中なんですよ?

 手紙には続きがあった。

 ――イギリスとの談判で負けちまったんだ。不甲斐ないお兄さんでごめん。君はこれからイギリス領になる。
 イギリス?イギリスって、フランスさんがいつも愚痴ってたヤツですよね?
 ――とりあえず侵略はされないだろうけど、気をつけてね。
 気をつけてね、て言われても。
 ――あとあいつの料理は食っちゃダメだよ!アメリカの二の舞になっちゃうから!!ぜぇっったい食べちゃダメだからね!
 アメリカ、て誰ですか。
 ――お兄さんはいつでもお前の味方だからな。元気でな、セシェル。
 とりとめない内容を綺麗にまとめようとしてませんか、フランスさん。

 手紙の半分も理解出来ないまま、私は地味に落ち込んでいた。フランスさんは好きだ。優しいし、ご飯美味しいし、ご飯美味しいし。けれどこの手紙によれば、もうフランスさんはここには来れないらしい。それはとても残念だ。しかも、これからはフランスさんとは別の国の植民地になるとかなんとか。しかもしかも、フランスさんととっっても仲が悪いと定評のあるイギリスという国と。(これはセーシェルの上司がぼやいていたことだ。)
 不安だ。特にこの手紙が無駄に不安を煽る。「侵略はされないだろうけど、気をつけてね」。
 私はこれまで何度も侵略されそうになった。でもそれはフランスさんがどうにか守ってくれていたから、暫くは安心して暮らせた。でもそれも今日で終わりだと言うのだろうか。

 「セーシェル。入りますよ」
 上司さんの呼ぶ声がする。
 「え、あ、はいぃ!」
 私は急いで手紙を隠した。何かやましいことでもしてる気分だ。私は悪くないのに!
 扉が開く。最初に入ってきたのは小麦色の肌が眩しい上司さんで、もう一人はフランスさんと同じくらい、いや、いっそ不健康そうに見えるほど白い肌の男の人が続いて入ってきた。
 「此方が、我が国で御座います」
 男の人よりもっともっと年上のはずの上司さんは何故か敬語だった。しかも、少し脂汗が出てる。どうしてそんなに緊張しているんだろう。
 「セーシェル!早くご挨拶せんか!」
 「ふへっ!?あ、セシェルっす、よろしくです」
 普通に挨拶したはずなのに、上司さんの顔は真っ青になった。
 「お前という奴は…!申し訳御座いません!」
 「かなり癪だがフランス語の心得はある」
 忌々しい、と舌打ちを打った。怖い。こんな柄の悪い男を見たのは初めてだ。私の国の人達はみんな気のいい人達で、フランスさんも良い人だったのに。
 そして予感する。フランスさんはいつも言っていた。「アイツはとてつもなく柄が悪い」と。私の勘は大抵いつもはずれるのだ。だから、今回もどうか、どうかそれであって!!
 「俺はイギリス。今日からお前の宗主となる国だ」
 「ちくしょう合ってたぁああああ!!!!」
 「セ、セーシェル!!言葉を慎みなさい!」
 そんなこと知るかあああ!!あああ私どうなるの!?どうなるの!?助けてフランスさん!
 「うるさい…」
 「も、申し訳ございませ…!」
 「お前もうぜえ。…下がれ。国同士で話がある」
 「は、はい…!」
 顔面蒼白にしながら上司さんは部屋を出て行く。え、ちょっと何処に行くんですかふざけんなコノヤロー置いてくな!
 パタン、と扉が閉まる。この部屋には私と悪魔だけ。開け放たれた窓から入ってくる風はとっても清々しいのに背中には嫌な汗が流れる。ここから早く逃げないと。じりじりと後ずさる。
 「おい。なんで逃げる」
 「ヒィッ!ちょ、近寄んなこの眉毛!」
 「ああ?てめ今なんつったカジキ女」
 眉毛って言ったのよこの眉毛!私が叫ぶと悪魔はほんとに悪魔のよう顔を歪めた。
 次の瞬間、私の丁度後ろの方にあった壁に穴が空いた。小さな穴からは外の光が差し込んでいる。
 「…へ…」
 呆然と悪魔を振り返ると、悪魔の握っている綺麗な金属が光った物の先から何か煙が出ていた。
 確かあれは、フランスさんが持っていたのと同じような奴だ。フランスさんは、確か、ピストルだと。
 「クソ髭の国の言葉に、その暴言……吐き気がする」
 「え…」
 フランス語じゃない言葉は私には聞き取れない。それでも、この悪魔は確かにキレている。どうしよう、どうしよう。ピストルはまだ私に向けられている。私は丸腰だ。武器になるものなんか一つも持っちゃいない。足が竦む。立っていられない。
 「Hi セーシェル。お前はもうセシェルじゃない。セーシェルだ。この意味はわかるか?」
 「……ふ、ふら…」
 「フランスはお前を手放した。……くく、なんだこれ。お別れの挨拶でも貰ったか?」
 悪魔はテーブルに置きっぱなしになっていた手紙を手に嗤った。急いで手元を見ても、そこに手紙はない。騒動の途中手放しちゃったみたいだ。最悪だ。
 それでも私は悪魔を睨みつけることは出来ない。顔を上げることさえ出来ない。ただ恐ろしい。目の前の存在が怖い。フランスさんの時は、こんな風に感じたことはなかったのに。あの人はいつも優しくて、守ってくれて、気さくで、時々セクハラするけどそれでも、
 「反吐が出る」
 ビリビリ、ビリリ、リ。
 何かが破れる音がする。床に固定されていた視界に映るのは、文字が書かれた紙切れがパラパラ振ってくる光景。真っ白になった頭でもそれを理解するのに時間はかからなかった。
 「や、やめて!!」
 「こんな紙切れ一枚で条約は覆されない」
 「やめてったら!」
 「温い言葉を残して結局裏切る…その点では俺も同類か」
 「やめて、やめて…っ」
 「あいつは優しかったか、セーシェル」
 バラバラになった紛い物を必死にかき集める私を、冷たく、侮蔑するように見下ろす翠色の目。
 これが、大英帝国。
 「なぁ」
 イギリスは膝を折った。白い手袋をした手が、私の頬に触れる。目尻を親指で触れられて、眼球を抉られる恐怖に硬く目を瞑った。でも指は目尻の辺りを拭うように動くだけ。そこで漸く、私は自分が泣いていることに気づいた。
 驚いて無意識に目を開くと、必然的に目の前にはイギリスの顔があった。
 恐ろしいと思っていた。冷酷で感情など一欠けらも見えない、フランスさんとは真逆。
 「優しかっただろう?」
 そう言って、私の頬をゆっくり撫でる手は温かかった。先程はピストルが握られていた手。私に兵器を向けた手。けれどそれは、とてつもなく温かかった。
 涙で潤んで、イギリスの顔はよく見えない。翠色の目が細められていることくらいしかわからない。
 私はいつの間にかその手に縋って、ただ頷いた。フランスさんは優しかった。少なくともこの人よりはずっと。
 紙切れは私の腕から落ちて、またバラバラになった。

 「I know」。知らない言葉を口にしたイギリスさんは、それ以来私にピストルを向けることはなかった。



そんな馴れ初め。
 「久しぶりやなあ」
 儲かってまっか?と挨拶してくるのはもうお決まりだ。方言らしいが、会う度にこれを挨拶代わりにしているというのだから不思議でならない。相手の経済状況を聞いてどうするんだ、とぼやけば「お堅いなあ」と呆れられて少しムカついた。アントーニョ・フェルナンデス・カリエド。スペイン訛りの英語はどこかゆっくりと聞こえる。
 「とりあえず、上がれよ」
 単身赴任でイタリアに居たアントーニョが久々に長期休暇を取れたと電話で話され、一方的に遊びに行くという約束をされ、現在に至るというわけだが態々貴重な休日をこのマイペースの為に割いてやった自分もつくづく甘いと思う。玄関先で話すのもなんだからと、アーサーはアントーニョを中に上げた。
 「アーサー、アーサー」
 「あ?」
 「あいさつは?」
 「………生活に困らない程度には」
 あーあかん。お前それはあかん。めっちゃつまらん奴やでお前。全く仕方がないなという風にアントーニョが肩を竦める。イラッとしつつもこいつのペースに巻き込まれた瞬間此方の敗北は決定するのでどうにか持ち応える。ああ、怒鳴らないでいる俺はなんて温厚なのだろう。
 「ウゼェ。帰れ」
 「すまんすまん、冗談やて。せやからそんな怒らんといてーな。おおそうや、これお土産のパスタ。ゆでるもんやったら焦がさへんと思って」
 「別に焦がしてねぇよ!」
 「自覚なしは痛々しいで。お前の味覚とあのぼんぼんの味覚はほんま奇跡やわ!」
 「さり気にアルフレッドを巻き込んでんじゃねぇ!!」
 あと俺たちはまともだ!と叫ぶもアントーニョは何処吹く風だ。言いたいことは山ほどあったがとりあえず土産のパスタは受け取ってキッチンのワゴンに置く。リビングに戻ると勧めるまでもなくアントーニョはソファを陣取っていた。客のくせに厚かましい。これも初めてではないのでもう口を出すことはないが、他人(一応知り合いではあるが)の家でよくもそんなに自然体でいられるものだ。普通は畏まる。だがよく考えてみれば、フランシスの家で言えばアーサーはアントーニョとそう変わらないかもしれない、と思ってみたがやっぱり違う気がする、と思い直した。
 「飲み物は?」
 「お構いなくー」
 「社交辞令はいい。サイダーとダージリン…アッサムは切らしてるな」
 「折角アーサーが淹れてくれんねんし、紅茶がええな」
 「わかった。適当に待ってろ」
 「あ、テレビ点けてええ?」
 「御勝手に」
 アントーニョがテーブルに置かれたリモコンに手を伸ばすのを尻目に、イギリスは紅茶セットを揃えお湯を沸かし始めた。アナウンサーの声や、歓声、タレントのくだらない話、断片となって耳を通り過ぎていくと、漸く目当ての番組が見つかったのか音声の嵐は止み、まとまったBGMとしてキッチンに届いた。
 「なあアーサー」
 「なんだよ」
 「ぼんぼんは?」
 「学校だ」
 「元気でやっとる?」
 「ああ。最近日本からの留学生の友達が出来たらしいぜ」
 「ぼんぼんお前と違って付き合い上手いもんなぁ」
 「煩いお前マジで帰れよ馬鹿!!」
 「おおこわ」
 それっ切り会話は止まり、テレビから出る音声だけになった。興奮して少し頬を赤くしながらもアーサーは注意深くポットを見ている。
 段々テレビに飽きてきたアントーニョは、ふとリビングを見渡した。フローリングに敷かれた洒落た絨毯や、庭が見渡せる窓に掛けられた明るい色のカーテン、綺麗に整理整頓された家具や雑誌。その中に場に似つかわしくない風俗物を見つけたのはなかったことにする。
 古い物を好む性質のアーサーは結構な数のレコードを持っている。新しいオーディオ機器がたくさん出ている中でも彼は時々レコードを聞くようだ。かと言って新しい物に興味がないわけではなく、意外とロックも聴いたりするらしい。レコードと同じように飾られたCDは彼自身が買ったものや、彼の養子のアルフレッドが買ってきたものもあるようだ。
 その棚の上にはいくつかの写真立てや賞が飾られている。かなり前にアントーニョが来た時はその殆どが彼と彼の亡き妻エリザベスの写真だったり、彼らが学生時代に獲った馬術の優勝カップや賞が置かれていたのだが、そこにアントーニョの見覚えのあるものは殆どなかった。少なくとも、アーサーとエリザベスの歴戦の記録はそこにはなかった。唯一残っているのは二人が旅行に行った時の記念写真と、同窓会でフランシスやアントーニョも混ざって撮ったもの。あとはアルフレッドの賞状やカップが占められていた。しかしアルフレッドの写真は一枚も置かれていない。
 「ほら、紅茶淹れたぞ」
 「おおきに。なあ、あれ…」
 「ああ。あいつ、化学の検定試験で最優秀賞修めたんだ。他にも数学とか、理系分野は総舐めしてたな。全く優秀だよ、アルフレッドは」
 自分たちがサークル派だったのとは裏返しに、あの子供はどうやら勉強好きのようだ。
 「そらすごいな。でも写真は置いてないねや?なんで?」
 「あいつが恥ずかしいから置かないで欲しいって言うから、置いてない。写真はあるぞ。アルフレッドの部屋だけど。見るか?」
 「ええよええよ、思春期の青少年の部屋は聖地やからな」
 「なんだそれ」
 「ベッドの下にエロ本あったりとか、あの歳になるとおかんには見られたくないもんばっかり詰まっとるからなあ」
 「そんなの普通だろって誰がおかんだゴラァ」
 「あ、バレてもた?あいたっ!暴力反対!」
 元ヤン紳士の暴力癖はまだ治っていないようだ。しかしじゃれ合う程度のそれに、アントーニョは変わったなと思う。アーサーは変わった。エリザベスと結婚した時もそう思ったが、歳をとったせいか、やけに落ち着いている。家族仲が悪くいつもささくれていたあの頃が嘘のようだ。
 「今夜は俺が晩飯ご馳走するわ!態々イギリスの不味い飯食いたないしな!」
 「悪かったな不味くて!!っつーかお前今晩泊まるつもりかよ!?」
 「えー?あかんの?折角あんさんの貴重な友達が遊びに来たったのにそんな冷たいこと言うん?」
 「貴重は余計だ馬鹿!!」
 「せめて“アホ”にしてやアーサー」
 ほんまお前変わったなぁ、とアントーニョはひとりごちた。


その内変えるかも。

 女っ気のない男所帯。イギリス式の邸をそう称したのはフランシスだった。さっさと新しい女でも探せ、そして娶れ。結婚式のディナーくらいだったらお兄さんが作ってやるからさ。バーでの酔い時に聞く文句はいい加減聞き飽きた。お前だってあの女のことが忘れられないからずっと独身なんだろう、とは思っていても口にはしない。お互い女に関して臆病なのはよく知っている。だから態々傷を抉ろうとは思わない。フランシスのそれだって、アーサーにとっては挨拶のようなものだった。
 アーサーには長い間連れ添っていた女がいた。エリザベスという、強く、聡明で美しい人だ。結婚が決まったのは突然で、エリザベスが両親や一般人に往来で宣言してしまったのだ。「私はこの人と結婚します」。突然のプロポーズだった。それまで恋人同士だったわけでもない、ただの昔馴染みで、少し年上だったアーサーが幼い頃から彼女を世話し遊んでいた程度の、ある意味兄妹のようなものだったかもしれない。そんな彼女が、どうして自分に告白したのかを尋ねたのは結婚式前日だ。マリッジブルーの欠片も感じさせない様子でエリザベスはあっけらかんと言って見せた。「だって、他の誰かと結婚するくらいなら、貴方と結婚した方がいいんだもの」。
 こればかりはアーサーは呆れた。プロポーズに何気なく答えてしまった自分もそうだが、まだ年若い女が誰かと結婚するくらいなら、などとロマンもクソもないそんな理由でプロポーズしたと言うのだから。どこで育て方を間違えたのだろう。いや、そこまでの干渉はしていなかったか。
 結婚してからというもの、アーサーとエリザベスは慎ましく、夫婦として愛し合った。驚くくらい自然体の彼らに、周囲が苦笑するくらいに彼らは理想の夫婦だった。
 しかしそれも長くは続かなかった。5年目の春、エリザベスは病に倒れた。それから一年も経たず、エリザベスはその短い生涯を終えた。話せないまで衰弱した彼女の最期の微笑みは言葉のないメッセージとして未だアーサーの脳裏に焼き付いている。
 それ以来、アーサーは女性関係を築かなかった。

 その代わり、エリザベスがこの世を去って二年経ったほどに、どういうわけかアーサーはある子供を預かることになった。
 聞けばエリザベスの遠い親戚だという。エリザベスの遠戚となれば、必然的にアーサーにとっての遠戚となる。その子供は両親に先立たれ親戚を転々としていたらしい。そして行き着いたのが、顔も見たことのない遠戚だったというわけだ。
 名をアルフレッド・F・ジョーンズといった。今は養子縁組を組んでいるので、アルフレッド・F・カークランドだ。預かった当時は十五歳で、アーサーとは十ほど離れていた。しかし国柄だろうか、いかんせんアルフレッドの容姿は二十歳でも通じる面持ちで、また子供らしくないまでに落ち着いていた。
 エリザベスさえも褒めやしなかったアーサーの料理を黙々と食べ、部屋に起こしに行く頃には既に身支度を済ませていたりとか、とにかく子供らしくなかった。子供の扱いは上手い自覚はあるのだが、こうもしっかりされていると、大人を相手にしている気分だ。

 ある日アルフレッドは高熱を出した。
 いつもならもう食事に降りてくるはずなのに、なかなか遅いからアーサーが部屋に出向いた時、ベッドでぐったりとしているのを見つけたのだ。簡単に額に触れただけでも熱く感じた額に瞠目しながら、急いで氷嚢やらタオルやらを持って看病する。アルフレッドは殆ど意識がないように見えた。
 「…昨日今日じゃないな、これ」
 思い返せば数日前からアルフレッドの様子はおかしかった。どこか疲れているようだったし、学校での勉強が忙しいのだと本人も言っていたからさして深く追求しなかった。今となっては悔やまれる。
 「おい、アル。アルフレッド」
 「……ァ…?」
 「熱がある程度下がったら、病院に行こう。それまで絶対無理はするなよ」
 「………」
 熱い頬にかかった髪を指で梳き分ける。アルフレッドは苦しそうにくしゃりと顔を歪め、その指を逃がさないかのように熱い手で掴んだ。
 「どうした?水か?」
 「…やだ…」
 「え?」
 「病院は…いやだ…」
 震える声と手で、必至にアーサーを繋ぎ止めるようにアルフレッドは懇願する。病院はいやだ、行きたくない、ここにいたい。アーサーはただアルフレッドが病院嫌いなだけだと思って、安心させるように笑いかけた。
 「薬を貰わなきゃよくならないだろう。お前はまだ子供だから、市販のはだめなんだ」
 「いやだ……おねがいだよ…」
 おねがいだから。アルフレッドはアーサーの手を祈るように引き寄せた。青色の瞳が揺れ動く。
 「おねがい…捨て、ない…で……」
 「アル…?」
 限界だったのだろう。アルフレッドはすぅ、と寝息をたてて眠ってしまった。アーサーの手を両の手で握り締めたまま。
 結局アーサーはその手を解くことが出来ず、次にアルフレッドが目を覚ますまで、ずっと傍に居続けた。
 その頃には殆ど熱は下がっていたので、今度病院に行こうとアーサーが言ったとき、アルフレッドは素直に頷いたのだった。

 後にアーサーがアルフレッドがいたという孤児院施設にそのことを伝えると、返ってきた返答に愕然とした。
 昔、まだアルフレッドが今よりももっと幼く、両親をなくして間もない頃。一度親類に連絡がつかずに施設に預けられたアルフレッドは両親の血縁に引き取られた。
 施設の職員によれば、とても気のよさそうな人たちだったらしい。実際、定期的に来るその夫婦からの電話でのアルフレッドは孤児院にいた頃よりも明るく元気だったという。
 その定期連絡が段々と間を置くようになった頃、アルフレッドは熱を出した。まだ子供で、両親を亡くしたことで精神的にも不安定だったため、それは施設でもよくあったらしい。その夫婦によって、アルフレッドは病院に連れていかれた。待合室で、夫婦が受付に行ってくると言って離れ、アルフレッドは苦しみながらも夫婦を待っていた。

 夫婦はいつまで経っても来なかった。

 小さな子供が一人きりでいるのをおかしいと思った看護師が声を掛けるまで、アルフレッドはずっと夫婦を一人で待っていた。
 看護師が受付に連絡をとると、そんな人たちは来ていないと言う。院内で呼び出しを試みても、その夫婦は現れることはなかった。
 幸いにもアルフレッドがいた孤児院の主治医がその子供の顔を覚えていたので、なんとか施設に連絡は行った。もし彼がいなければどうなっていただろう。身元がわからず、また違う施設に入れられていたかもしれない。
 施設は急きょ夫婦に連絡をとった。しかし、電話は繋がらない。翌日住所を元に訪ねると、そこは空き家だった。
 結果的に、アルフレッドは捨てられたのだ。あの夫婦に。

 また施設に舞い戻る形となったアルフレッドに対し、大人達は真実を告げることはなかった。あの人たちはちょっと仕事で海外に行ってしまってね。暫く会えないんだよ。だからね。
 何がだからなのか。幼いながらもアルフレッドは気づいていたのだろう。自分が捨てられたということに。いや、その時は気づいてなくても成長してわかってしまったのかもしれない。

 ああ、だから拒絶したのか。
 薬が効いて深く眠るアルフレッドの少し湿った髪に指を入れる。いい子だと思う。礼儀正しいし、大人しい。自分の言うことに特に文句は言わずに、苦言など聞いたこともない。それが全て幼い頃の体験から来ているものだとしたら、可哀想だと思う。
 「だから、捨てないで、か」
 悪く言えば、アルフレッドは運がなかったのだ。子供は親を選べない。
 ふと、これまで全く思ったことはなかったのに、エリザベスがいなくて残念だと思った。お互いの間に子はなかったが、自分と同じく子供好きな彼女のことだ、きっとアルフレッドを可愛がったに違いない。アーサーよりも美味い料理をアルフレッドに食べさせて、自分のことのように嬉しそうにその姿をじっと見ているのだ。そんな叶わない夢を見る。どうだろう、ベス。アーサーは写真立てに映る彼女に笑いかけた。  

 「刹那。大丈夫か」
 朦朧とする意識の中、自分がベッドの上にいることをを知った。視界が段々はっきりして、声のする方へ向く。そこには、少し心配そうな顔をしたティエリアがいた。
 「…ここ、は」
 酷く声がかれていた。そういえば、トレミーの電力は直っていたのか。見覚えのある天井は明るく、そこで漸くここが自分の部屋だと知った。
 「ロックオン、は」
 「彼は眠らせている。…刹那、何故抵抗しなかった。君にはその権利があった。彼には感謝されこそすれ、大人しくあのように殴られる理由はなかったはずだ」
 「…本気で言っているのか、お前は」
 少し俯き加減に、刹那は尋ねた。ティエリアはすぐには答えず、少ししてから、「いや、」と呟いた。
 「だが、君が気を失うまでとなると、話は別だ」
 「気を、失っていたのか」
 「君の体は本調子じゃない。自分の体に今何が起こっているのか、わかっているだろう」
 「…細胞代謝障害」
 そうだ、とティエリアは頷いた。本来なら、死んでいるはずの体。ラッセのように、ガンダムを操るなど到底無理なはずの体。なのに今自分は生きている。何故?と尋ねても答える者などいない。
 自分が死んでいたら、アニューは死ななかったんだろうか。途端見当違いなことをかんがえる。
 「……ティエリア」
 「なんだ」
 「俺は、破壊しか出来ない。四年前は、破壊で世界を変えようとした。でも今は違う。破壊で、守りたいものがある。変えたいものも、もちろん」
 「ああ」
 「ニールが言っていた。俺の代わりに変わってくれと。俺はその願いを、叶えたい」
 「ああ…」
 「守りたいものの中には、ロックオンもいる」
 「それは」
 どちらの、と言いかけて、ティエリアは黙り込んだ。刹那は気に留めず、話を続ける。
 「あいつの、願った、ライルの生きる未来。俺はその可能性を、ライルから奪ってしまった。ライルの大切なものを、また壊してしまった」
 「…刹那」
 「俺は、また…」
 泣き出すかと思った。けれど、刹那は泣かずに、ただ下を向くだけだ。もう、涙すら忘れてしまったんじゃないかと思うくらい、ティエリアは刹那のそれを見ていない。代わりに、笑顔をよく見るようになった。他人からはわかりにくいかもしれないが、刹那にとってそれは確かに笑顔だ。だが、泣きそうな表情は、彼、ニールが死んでからは殆どない。悲しいことがあると、刹那の表情はうつろになるだけだ。それが彼が変わった結果なのかは、計りかねるが。
 「刹那。お前の判断は正しかったといえる」
 「………」
 「もし僕が、不本意だが、同じことになっても、お前はそうしてくれると信じている」
 「ティエリア、それは」
 「ありえないこともない。奴が言っていた同タイプのイノベイター。僕も、僕と同じ顔をした奴に会ったことがある」
 「……お前は、裏切らない。ティエリア・アーデである限り」
 「ああ、もちろんだ。だから刹那、あまり背負い込もうとするな。奪った命に責任を持つなとは言わない。だが、あれは」
 誰かがやらなければならないことだったんだ。

 

(書置きより)
 白い病室。差し込む太陽光が反射するせいで更に白く眩しい部屋は、起き抜けの目には優しくなかった。
 今度は一体何時間寝たのだろう。いや、何日寝た?この部屋にカレンダーはない。時計がひとつあるが、それは今時アンティークにしかないレトロな丸時計で、日付などわかるものではなかった。
 「おはよう、ソラン」
 声がして、俺はその方を見遣った。そこには、見知った顔が二つ。というよりも、同じ顔が、二つ。
 「……ぁ」
 咽喉が渇いていてうまく声がでない。本当に、俺は何日眠っていたのだろう。ここにきてから何ヶ月経った?まだ季節は巡っていないはずだ。窓の外から決まった時間に見える、散歩に出ている老人はまだ健在だ。なら、そう時間は経っていないはずだ。もっとも、その老人が俺と同じ状態であるならば話は別だろうが。
 「おはよーさん。久しぶりだな」
 「…ライ、ル」
 軽い口調で喋ったのは、よく見舞いにくるライルだ。
 「俺は、何日眠っていた…」
 「五日ほどだ。ぐっすりだった」
 答えたのはライルと同じ顔をした方だ。右の目尻には完治した傷跡があり、ライルよりも落ち着いた雰囲気で、どこか頼りになりそうな笑みを浮かべている。
 「…あんたは…」
 誰だ、と言う以前に、俺は彼を知っている。ただ、目の前にいる男が本当に生きているのか信じられなくて、そもそも俺はまだ眠っていて、これは夢なのではないかと、どこかでそう思っていた。答えは聞くまでもないだろう。早くこんな夢など覚めてくれ、と俺は目を閉じた。
 「おいおい、起きろ、刹那」
 懐かしい名前を出してくる。そうだ、彼は一度だって自分の本名を口にしたことはない。ライルは俺を「ソラン」と呼んだ。ならば、未だ「刹那」と呼ぶ彼は、幻なのだ。
 「せーつーなー。せーっちゃん」
 甘い夢だ。もうすぐ死ぬのだろか。この世界に神などいないが、人は最期に幸せな頃だった夢を見ることがあるらしいとモレノが言っていた。医学的根拠も何もないがな、と付け足して。
 「せっちゃん、いい加減にしないと、お兄さん怒っちゃうよ」
 「兄さん、その歳でお兄さんはないだろうよ」
 「うっせえぞライル」
 モレノ。夢というのは、こんなに煩いものだのだろうか。
 いい加減目を覚ましてほしい。こんな夢、見ているだけで毒なのだから。

 ふいに、声がしなくなった。夢が終わったのだろうか。俺はそっと目を開けて、病室を見渡す。夢で見たのと変わらない、太陽はまだ高くて、白い部屋。

 「お!起きたな!」
 顔面にぶつかるかという勢いで、そいつは迫ってきた。因みに俺はベッドに仰向けに寝ていて、そいつは俺の頭の両横に両手をつき、覆いかぶさっている状態だ。
 突然のことに思わずひゅっと息を呑んで、自分とは人種的に作りの違う顔を凝視する。ライルにはないはずの、右目尻に見える傷。
 まだ、夢なのか。
 「……ライ、ル」
 ライルに助けを求めるために、点滴の刺さった腕を伸ばす。ライルは困ったように笑ったが、何もしなかった。
 行き場の失った腕は、いとも簡単に、ライルと同じ顔をした男に取られてしまった。拒もうとしたものの、筋力が殆ど衰えてしまった細腕では、ふりほどきようもない。
 「刹那。俺を見ろ」
 男は先程のように笑みを零さず、真剣に、どこか懇願するように俺を見ていた。掴んだままの俺の腕をそのまま自分の頬に当てて、その温かさに俺は驚いた。死人の冷たさはよく知っているのに。
 「俺の名前、呼んでよ」
 名前。名前なんて。あんたの名前なんて、俺は知らないじゃないか。
 そんな風に笑うな。名前なんて、あんたから教えられたことなんて、一度もないんだぞ。
 「刹那」
 いい年した男が、泣きそうに顔を歪めている。ああ、頼りないな。昔はあんなにも大きな存在だったのに。
 男の頬に添えられたままのだらりとした腕に力を込めて、俺はその頬をたどたどしく撫でてやる。
 すると、男は更に泣き出しそうに顔を歪めた。笑おうとして取り繕っているようだが、それにしたって、不細工だな、あんた。
 ライルも呆れたように見ているぞ。
 「……、オ…ン」
 「せつ、な…」
 「ロッ…、オン…」
 「刹那、刹那…」
 掠れた微かな音さえ逃さないように、額と額を合わせる。
 やっぱり熱かった。熱でもあるんじゃないかというくらい、その人肌は生きていた。
 「……ロックオン…」
 熱い水滴が俺の頬に落ちた。それが彼の、ロックオンのものだとわかるには容易く、俺は力の入らない腕をロックオンの頭に回した。彼の頭は俺の首元に埋まり、情けない嗚咽を漏らして俺にしがみついていた。
 「せつな…せつな、せつなぁ…っ」
 ぽん、ぽん、と頭を撫でるように叩いてやる。マリナが、泣いている子にはこうすればいいのだと教えてくれた。たぶん、正解だと思う。ロックオンの嗚咽はなかなか止まないが。
 その体温は、明らかに生きているもののそれだ。夢心地に、俺はその存在を確かめるように片方の腕を背中に回した。ああ、温かいな、生きているんだな、あんたは。
 ふと、横目に苦笑したライルが目に入った。この場にい辛さそうに、視線を泳がせている。
 そういえば、こんなことも前にあったな。
 「…泣き方、そっくりだな」
 ふと呟いた言葉は、ライルには届いていたようで、彼は顔を真っ赤にして視線を逸らした。俺はそれが少しおかしくて、咽喉を鳴らしながらロックオンを抱き締めた。
 「お帰り、ロックオン」
 ただいま、と聞いたことがないほど弱い声が答える。あんた、もう結構いい年だろうに。
 頬に熱いものが伝う。また、ロックオンの涙だろうかと思ったが、それは違った。
 俺はそこで漸く、俺が泣いていることに気づいた。

(書置きより)

 憎悪で燃えている碧色が、真っ直ぐに赤銅色へと暴力を叩きつける。
 なぜ。どうして。敵じゃなかったのに。どうして殺したんだ。

 どうして。


 「どうしてなの、ソラン」


 父さん。母さん。
 ああ、どうして。俺はあの時貴方たちを殺してしまったのか。
 母さん。
 今ではもう貴方の怯える顔しか思い出せない。貴方を「母さん」と呼んでいた記憶すらもう霞んでしまっている。
 それなのに、思い出すのは貴方の怯える顔だけなんだ。貴方たちを犠牲にして参加したはずの「聖戦」の記憶は、まるで記録のようにしか残っていない。それはあの時俺がただ機械のように戦っていたからだろうか。
 どうして、俺は貴方を殺してしまって、貴方の笑顔が思い出せないんだろう。


 「……アニュー…ッ」

 奪われた痛み。理不尽な死。遺された者の悲しみ。四年前、漸く実感できたものだ。
 胸が張り裂けるほど痛かった。それを今、目の前の男も感じている。家族を失ったときも、そうだったのだろう。
 その痛みは俺には理解できても、おそらくは共感とは程遠い、とても崇高な感情なように思える。
 後にも先にも、俺がその感情を実感したのは、ロックオンという存在を喪ったときだけだからだ。

 どうして、と尋ねる声に、俺はどう答えればいい。
 謝ればいいのか。「すまなかった」と。謝って、どうなる。死は覆されない。

 「どうしてなの…ッ?」
 あの時の母さんの問いかけに、俺は、銃弾で返してしまった。

 正しい答えを見つけたことなど。


 ライルの、生きる、未来を。


 ああ、そうか。
 そうだ。それだ。それが、答えだ。そうだな、ロックオン。
 あんたの願いを、俺は継ぐんだったな。

 「お前を喪うわけには、いかなかった」


 生きているなら、なんでもできるさ。
 親しみのある笑みを浮かべながら、あの男が言った気がした。
 

 どうしてアニューは行ってしまったんだろう。
 わかってる。それは彼女がイノベイターだからだ。
 そうじゃないかって、気づいてた。本当は、少し疑ってた。でも、それでも好きだった。彼女が自覚がないのをいいことに…いや、たとえ演技でもよかったんだ。俺はアニューが好きだ。愛してる。
 だから、こんなときが来なければいいと思ってた。

 …だが結果はどうだ。
 アニューは行っちまったじゃねぇか。俺は何ができた?言葉を投げかけることしか出来なかった。遠ざかる小型艇に手を伸ばすばかりで、実際に掴もうともせず。それはあいつが好きだったから?愛していたから?だったらどうして俺はあのとき迷ったんだ。どうしてスコープ越しに小型艇を狙った?そのくせ、どうして俺は撃てなかった?

 (何もかもが中途半端じゃねぇか…なさけねぇ)
 ロックオンはまだ電力の戻らないコントロールルームでうな垂れていた。拳に力を入れようとしてもうまく入らない。ただただ自分の無力さに脱力した。こうしている間にも、敵は迫ってくるのだろう。その中にはきっとアニューもいるはずだ。目を閉じると、「愛してる」と言ったときの彼女の照れくさそうにしていたのが脳裏に浮かんだ。
 「…ロックオン」
 落ち着いた声が呼ぶ。
 分かりきっている正体に、ロックオンはいつものように肩を竦め、力の入らなかった拳を無理矢理握り締めた。
 (震えてやがる…)
 それを気取られまいと、ロックオンは視界から刹那を外した。
 「彼女は、戦場に出てくるぞ。奴らがこの機会を逃すとは思えない」
 「…わかってるよ。言われなくてもやることはやる」
 確認でもしにきたのか。“俺がちゃんとアニューを殺せるかどうか”?随分と仕事熱心だ。考えれば考えるほど湧くように出てくる皮肉を、ロックオンは声を抑えることで飲み込んだ。今感情を爆発させてどうなる。目の前のこいつを罵倒して、どうなる。現状は何も変わらねぇ。
 「相手はイノベイターだ。俺たちの敵だ。トリガーくらい…」
 そうだ。「撃つ」なんて行為はサークルに目標を合わせて人差し指を手前に引くけで簡単に引ける。相手が誰であれ、俺は、
 「強がるな」
強い口調で言い放った刹那に、ロックオンは顔を顰めた。
 冷めたような、何もかも悟ったような面構えで。自分より八歳年下のこの男に、よもや「強がるな」とは。ふつふつと苛立ちが湧き上がる。けれど、この男の言っていることも事実だと、ロックオンの中にある冷静さは理解していた。
 「お前には戦う理由がない」
 「あるさ。相手はイノベイターだ」
 じくり、と胸のあたりが痛くなる。イノベイター。敵。アニューは、敵だ。ロックオンはひたすら自分にそう言い聞かせようとした。
 しかし、次の言葉でそれはいっきに瓦解する。
 「戦えない理由の方が強い」
 「……ッ…」
 言葉を、失った。
 撃つ理由ならある。それはイノベイターだから。俺たちの敵だから。けど、それはどの枠だ?「俺たち」って、一体どこの枠組みでくくってる?
 アニューはここを出て行くときに俺を誘ったじゃないか。「私と一緒に来る?」と。不敵そうな笑顔にはどこか辛そうな色が見えた。あれが精巧な演技だと言えばそれでおしまいだ。それでも、少なくともアニューは俺を愛してくれていたんじゃないのか。それとも不甲斐ない俺がそう信じたいだけなのか。
 アニューは世界を裏で支配しようとするイノベイターで、俺はカタロンの諜報部所属ジーン1、そして、ソレスタルビーイングのガンダムマイスター、ロックオン・ストラトス。
 そこまで考えて、気づいた。
 (全部、立場の話だ)
 客観的な立ち位置で人の覚悟が計れるものか。
 あらゆる立場で比較して得た撃つ理由なんて、まさに机上の空論だ。アニューはアニューで、俺は俺だ。ジーン1でもなく、ロックオンでもなく俺はライル・ディランディとして、アニューが好きだった。今もそうだから、迷ってる。
 撃つ理由よりも、撃てない理由の方が強い。
 (ああその通りだよ刹那。でも、俺は…)
 「もし、お前が万が一の時にもトリガーを引けないのなら」
 刹那の言葉で思考が停止する。
 「もしもの時は、俺が引く。その時は俺を恨めばいい」
 簡単に言ってくれる。俺が迷ったらお前がアニューを殺すだって?恨むなら俺を恨めだと?
 「カッコつけんなよガキが」
 全ての苛立ちを込めた暴言にさえ、刹那が表情を変えることはなかった。




 そして、アニューはダブルオーから放たれた閃光によって、死んだ。
 俺の、目の前で。




 コンテナにケルディムを固定するなり、俺はコックピットから飛び降りた。被っているヘルメットの中で浮かぶ水滴が鬱陶しくて、殴りつけるようにどこかに放り投げた。コンテナに待機していた沙慈とかいう男を視界に入れ、乱暴にその胸倉を掴んだ。
 「刹那はどこだ!」
 ヒッと咽喉を鳴らしていたがそんなことはどうでもいい。沙慈は震えた声でコントロールルームだと答えた。チッと舌打ちをしながら、まだ艦内全体に電力が行き届いていない暗い通路を進む。
 いつの間にか、涙は枯れてしまっていた。眼球はすっかり乾いて、今はただ怒りしか湧いてこない。さっきまで彼女を喪った喪失感に涙していたのが嘘なくらいに、視界は真っ赤に染まっていた。
 「ロックオン!」
 背後から声がかかる。聞き覚えのある声だ。たぶん、マイスターの誰かだろう。既にそれすら判別できないくらい、ロックオンは前後不覚に陥っていた。ただ、眼前に青いパイロットスーツに身を包んだ男を見つけるなり、ロックオンは掴みかかった。
 「やめろ!ロックオン!」
 また誰かの声がする。誰かが俺を止めようとしている。怒り狂った俺を。
 自分よりも低い位置にある赤銅色の瞳は、感慨もなく俺を見上げていた。こいつが、この手が、こいつという存在が、
 「貴様がァ!!」
 力のままにその頬を殴りつけた。グローブが手を覆っているにも関わらず、じんじんと鈍い痛みが広がる。殴られた方はそれ以上の痛みだろう。だがこんなのじゃ足りない。宙に浮かぶ成人男性にしては小柄な体を背後のシートの背に打ち付けるように固定して、もう一度殴りつける。
 「…ぅ…っ」
 小さな呻き声があがる。あの時アニューは泣いていた。最期に見たのは嬉しそうな笑みだった。でも、アニューは泣いていた。分かり合えていたと分かった瞬間に、アニューの命は散ってしまった。
 アニューは、此方に戻ろうとしていたのに。俺のところに帰ってこようとしていたのに…!
 「何故アニューを殺した!?」
 三発目。
 首元を掴みあげて見えた憎い男の顔は、俺が殴ったせいで赤く腫れるどころか紫に変色していて、唇からは血が伝っている。いつも相手を射抜くような真っ直ぐとした赤銅色には力がなく、ただ俺を見下ろしていた。
 なんでだ、なんでお前がそんな顔をする…!?
 「アニューは戻ろうとしていたんだ!なのに!!」
 四発目。
 「もうやめろロックオン!」
 「止めるな!!!」
 それまで静観していたティエリアにさえ、刹那はそろそろ限界に見えていた。これ以上は、危険だ。刹那が殺される。
 しかし、ロックオンの怒りは未だ収まらない。
 「よくも…ッ!!」
 懇親の一撃すら、刹那は避けなかった。
 ロックオンはそのまま刹那に倒れこんだ。力を使い果たした腕は、尚も訴えるように刹那の胸を叩いた。肩が震えて、また嗚咽が出て、涙が出る。ここで刹那を嬲り殺したところで、アニューが戻ってくるわけじゃない。わかってんだ。わかってんだよ。
 「アニュー…っ」
 泣き崩れたロックオンに、差し伸べる手はもう、ない。
 ティエリアやアレルヤは呆然とその姿を見ていた。遠くで落ち着かないでいた沙慈も、自分とルイスを重ね、たまらなくなりその場を後にする。
 刹那はただ、ロックオンを見下ろした。「恨むなら俺を恨め」と言ったのは自分だ。ちゃんと恨んでくれたことに刹那は感謝していた。こう言ったら、ロックオンはまた怒るだろう。
 何をするでもなく、刹那はただじっとしていた。ロックオンが泣き止むまで、ずっと。


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うろ覚えなので会話順違うかもしれないが。まぁ私なりの補完です。
どっちつかずな子は見てて可愛いと思いますが、時にそれは大きな過ちを生むのは沙慈で証明されているので、ライルはそうならないでほしいと思う。この先も。自棄になって兄さんみたいに死ぬなよー。
たぶんライルはあとでアレルヤあたりに鎮静剤打たれて強制的に眠らされてると思います。
それにしてもうん、ライルをロックオンと表記するのは、やはり違和感。やっぱりロックオンは兄貴なんだよなぁ。
それにしても来週の「最近の君はどこかおかしいよ…今までと、何かが…」はアレルヤから刹那へのあれか?
次回予告でも「刹那、その扉の向こうへ」とかあったしなぁ。漸くせっつんの異常が解き明かされるんですね。そしてまた空気を読まずグラ…ミスターブシドーが出てくるわけですね。もういいんじゃないかなブシドー。いつもせっつんの不調に狙ったように出てくるから…いけすかねぇ…だが好きだ←
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