「自虐的なのね」
まだエリア11がブリタニアに占領されて間もない頃、引き取ってくれた気のいい女性は包丁で何度も指を切るスザクにぽつりと漏らしたのは今でも頭に鮮明に残っている。その後、彼女は先程言った言葉に合わないサバサバとした笑みを浮かべて、スザクの亜麻色の髪をぐしゃぐしゃに掻き回した。ドン臭いわね、学習能力はどこにいったの?と今度こそスザクを馬鹿にした。最初に言った台詞など元からなかったかのように振る舞い、どこからともなく絆創膏を取り出し、自分で貼ってやらずに押し付ける。そこが、彼女らしいといえば彼女らしかった。
やがて彼女は本国へ帰ることになった。着いてきなさいよ、と強引に手を引かれたが、スザクは頑なに断った。ありがたい言葉だったが、まだこの国を諦めたくない、と言うと、お前猫みたいだねと笑われた。人の好意を無駄にするなんて、と怒られるかと思ったのに、頑張んなさい、と頬を抓られ、キャリーバッグを手に彼女はシャトルの搭乗口へ向かった。遠ざかっていく距離。
当時スザクは、名誉ブリタニア人であれど携帯電話を持つことは許されていなかった。国内ならまだしも、国外の手紙は検閲に必ず引っかかる。スザクと彼女の繋がりは、空港にて、絶たれた。
ただひとつだけ。彼女は自身の名前をスザクに残した。
「ああ、その人なら知ってるぞ。ていうか、スザクからその名前が挙がるとは吃驚だ」
「なんで?」
ペンドラゴン宮殿のラウンズ専用区画に与えられた談話室。一人用のソファにそれぞれ座っているのは、ナイトオブスリー、ジノ・ヴァインベルグとナイトオブセブン、枢木スザクだ。ジノは尋ね返してきたスザクに「うわあ」と呆れたような声を出し、あまりお行儀が良いとはいえないが、開かれた窓辺に座り携帯電話を弄っているアーニャへ視線を移した。
「なんでって…だとよーアーニャ」
「…私でも知ってるのに」
「知らない人がいないの方が珍しい。スザク、今までその人探そうとかしなかったのか?」
きっとロイド伯爵だって知ってるぞ、と頬杖をするジノに、スザクはしれっと「今思い出したんだ」と答えた。
元々探す気などなかった。そんな言い方だ。
「ログリエ家。ブリタニア帝国貴族の名門中の名門」
「私の家も随分懇意にさせて頂いている。ただ、父上が言うには現当主はロイド伯爵とは違った意味で変わり者のようだ。豪傑、というか…ノネットに近い」
「ああ、そう」
せっかく二人が与える情報も、特に興味がなさそうにスザクは聞き流した。その反応が反感を買ったのか、ジノはますます呆れたような顔をし、果てにはため息をついた。その瞬間、アーニャの携帯電話のシャッター音が鳴り響く。
「アーニャ!」
「ありがとうジノ。保存しておく」
言うが早いか、アーニャはまた携帯電話に興味を移した。ああなったら彼女に何を言っても無駄だというのは承知しているため、ジノは諦めてソファに深く背を沈める。
「どうせならもっとかっこいいの撮らせてやるのに。…んで、スザク」
「なんだい」
「お前、なんでログリエ家なんていきなり言い出したんだ?しかも貴族だって知らなかったっていうわけでもないんだろう」
「雰囲気でわかるんだよ。それにあの人と交流を断ったのだってもう四年も前の話」
ナンバーズ上がりの自分が今更連絡を取り合っても、相手の迷惑にしかならないだろう。だから元々探す気などはなかった。過去に庇護を受けたことや、あの頃まだ不安定だったエリア11の情勢の中、拾ってくれた彼女には感謝してもしきれない。改めてお礼を言いたい、という気持ちはないわけではないが、それはもう出来ないんだと空港で彼女の背中を見送ったあの時に割り切った。それに貴族というならば、八年前とはいえナンバーズを匿った事実など態々蒸し返すことは却って相手を不利にさせかねない。今自分がナイトオブラウンズという地位に立っていたとしても、だ。
「明日ヴァインベルグ本邸で夜会があるけど、来るか?」
「は?」
ジノの突然も申し出に、スザクは無意識に鬱陶しそうな顔で返した。しかしジノは気にせず、にこやかな笑顔を浮かべて続ける。
「丁度誘われててさ。私は元々行くつもりはなかったんだが、スザクが行くなら私も行くよ。アーニャも行くだろ?」
「ちょっと待て。今の話の流れからどうして君の家の夜会の話題になるんだ」
「ログリエ当主も出席するぞ。丁度良いじゃないか」
「…あのな、ジノ」
「私は行かなければならない。ジノ、写真いっぱい撮っていい?」
「いいぞー。けどあんまり他のお客様に迷惑かけるなよ、あとが煩いから。じゃあスザクも来るよな」
「そこでなんで順接なんだ。おい、ジノ!」
ソファから立ち上がり、携帯電話を開きだしたジノのそれを手で押さえる。見上げると、翡翠色の瞳は怒りのせいか色濃く見える。しかし、その表情はジノにはただ戸惑いに揺れているようにしか見えなかった。
もう遅い。
「残念。スザク、これは任務だよ」
「…なに?」
「ベアトリスから伝令。ナイトオブシックス、セブンの両名は、明日催されるヴァインベルグ主催の夜会にナイトオブラウンズとして出席せよ」
アーニャが淡々と事務報告する中、スザクの目の前のジノはにやにやと笑っている。それがますます気に入らなくて、スザクはアーニャの先にいるベアトリスの影を睨み付けた。
「…何故。理由がわからない。大体、ヴァインベルグに関することならジノに…」
「身内はダメ。今回の任務は、監視兼護衛指揮」
単語のみを述べるアーニャに、スザクは唖然として押さえつけていたジノの携帯電話から手を放した。ジノのそれは開かれることなく、彼のポケットへと戻る。どうやらスザクをからかうためのブラフだったようだ。
「僕は聞いてないんだけど」
「スザクがEU戦線から帰ってきたのは一昨日。昨日は休暇。代表して私がベアトリスから渡された。詳細はこの書類。明日の夜までに建物の配置図を暗記して」
窓辺からとん、と飛び降り、スザクの方へ歩み寄り先程までテーブルに放置されていた書類を手渡す。納得いかない、という顔をして、スザクは渋々それを受け取った。横でジノはまだ笑っている。対してアーニャは無表情だ。
「偶然ってあるもんだなあ」
こんなからかいの言葉を発するなんて今この部屋で一人しかいない。
スザクは目に通しかけていた書類で、その頭を叩いてやった。
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なぜか続く。